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2021-06-01

手放して、あきらめない わたし編

今日は、前回のつづきで、ちょっと私自身のことに触れてみたいと思います。

自分のことって恥ずかしくて、なんとなく書くのを避けていたのだけれど、少しずつブログには書いていこうかなと思っています〜。

いつももがいてた!

20代前半くらいまでかな?見出しタイトル通り、いつももがいてる人でした。笑。

その原因は「期待に応えなければと高すぎる目標設定をしていた」ことだと今は思います。

人目を気にして頑張っている風を演じなければならず、目標設定はするけれど、自己評価は低く、自分を信じていなかった。

(例えば、周りには医者を目指しています、と言いつつ、本当はそんなのなれっこないと自分では思っていて。でも、医者を目指して勉強している人を演じる、みたいな。)

でも、なんとか上を目指して、いつももがいていてあれやこれやとやってみる。でもうわべだけで身になっていなかったり、自分の実力と目指すところの差がありすぎて諦めたり。

そしてまた、新たな高すぎる目標と残念な自分との間でもがく、の繰り返し。
嫌なリピートだった〜〜。笑。

一旦すべて手放す!休む!

10代から20代前半を嫌なリピートをしながら過ごしていた私は、25歳で転機を迎えます。

悪性リンパ腫という病気になり、治療に専念する時間を過ごすことになりました。
今まで抱えていたものを一旦すべて手放して、ゆっくり休める、周りの皆が休んでいいよって言ってくれる。高い目標もいらない。

その安心感は当時の私にとって、今までに味わったことのないものでした。

自分の真ん中に置きたいもの

治療中は、今までの自分どうこうは完全に手放して、日々生きることだけに集中させてもらっていました。

治療中のことは、あまり覚えていないのだけど、2週間に1度の化学療法を受けた日は、必ず同じ夢を見ていました。
海外であろう灰色の石畳の路地で、銃撃戦に巻き込まれるんです。そして私、撃たれて、じわ〜っと出血して死んじゃうんです。笑。夢だからね、笑えますが、毎回なんですよ。
なので、それだけはよく覚えています。笑。

話は逸れましたが、窮地に立ってみて、自分の真ん中に置きたいものが今までとは変わったのは確かです。

それまでは、高すぎる目標がいつも私の真ん中にあって。

高い目標に届けば自分の価値も高く評価できて、成功者となっていったのかもしれませんが、実際は、目標クリアには程遠く、いつも挫折感と自己否定感を味わってばかり。

でもせっかく生きるのならば、挫折とか否定とか言ってる場合じゃない!
もっと心地よく生きるためのエッセンスを私の中に取り込みたい!

そんな思いから、あきらめないけど、固執しない、流れに身を任せて受け入れながら、ときには手放して、でもあきらめない。それを私の真ん中に置きたい!となっていったのでした。

手放して、あきらめない、が心地いい

みなさんそれぞれ自分にとって心地いい考え方や生き方があるんだと思うのですが、私にとっては、いろんなことを手放しながら、あきらめない、というのが心地いいようです。

子育てでも、ルトロワ仕事でも、あれもこれもやりたいことがあるけれど、多くのことは手放します。

だって、頭でやりたい!と思っても全然全部はできないんだもん。笑。

でも、全部放り出して、ゼロにしてしまうのではなくて(子育ては絶対に放り出せないし…)1でもいいから、あきらめずに気持ちを切らさないように細々と続けます。

そうすると、1が2になり2が3になったり4になったり、動きが見えてくるんです。それがね、楽しいんですよ〜。笑。

いやもう本当に!!!笑。

ちょっとずつ育っていったり、あっちへ転び、こっちへ転び、予想外な展開になったりもして。フフフ。

息子の例も、然りです。笑。

そんなこんなで、毎日ぼちぼち楽しくやってます〜〜!!!

余談

あきらめないことに関して、一番学ばせてもらったのは娘かなぁと思っています。できなくても、怒られても、頑張るんです。

堂々とたくさん間違うので、オ〜〜〜イ!と、私はそのたびに打ちのめされますが。笑。

間違いを直す作業もたくさんします。

私は間違いを恐れていたし、間違ってしまったことから目を背けていたなぁと反省すると同時に、私も娘のように堂々と間違いながら、堂々と努力をして、いつのまにか成長しているような人になりたいぞ、と思っています。

 

 

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